SUN MOTOYAMA

茂登山長市郎Choichiro Motoyama

The
True-Born
Merchant

生粋の江戸っ子商人あきんど

人との出会いを通じ、美を追い続ける商人、
茂登山長市郎のエピソードをご紹介します。

1964年(昭和39年)、文化の落差の中で見つけたグッチ、エルメス、ロエベなどが一堂に並ぶ本店内

文化の落差の中にこそ
ビジネスチャンスがある

1941年(昭和16年)応召、中国・天津の租界で美しい異国の品々を見た茂登山長市郎は、日本との文化の違いに衝撃を受けた。

この文化の落差こそがビジネスの原点だと直感した茂登山は、決心する。「もしも無事復員できたら外国の文化を売ろう」と。

1946年(昭和21年)に復員すると、有楽町駅前の毎日新聞社別館にあった父の店を借りて、小さな雑貨の小売店を開き、主にアメリカ製品の販売を始める。

1955年(昭和30年)、念願の株式会社サンモトヤマを立ち上げた。

本当に美しいものを
見極めるのは
心に沸きあがる
直感である

1950年(昭和25年)頃、ドイツ留学経験を持つ報道写真家・名取洋之助なとりようのすけ氏がたびたび店に来ていた。彼は「本当に美しい伝統、文化はヨーロッパにある。ヨーロッパに行ったら仕入れをする前に、先ず美術館と教会に行け。最高級のホテルに泊まり、最高のレストランで食事をし、彼らのライフスタイルをよく見ることだ」と論した。

1959年(昭和34年) 春、初渡欧した茂登山は、名取氏の教えを守り、ヨーロッパの歴史と伝統を肌で感じる。本物を見極めるとはどういうことか。隠れた美を見抜くにはどうしたらいいか。長きに渡り、数々の名品を探し出してきた茂登山は、その極意を「ブランド名や作家名、付けられた金額に左右されないことだ」と言う。
知識や常識にとらわれず、先入観を持たず、物をよく見つめる。時として触ってみる。着てみる。そして最後は自らの直感を信じること。今はまだ名のないものの中にも、美しいものは多く存在する。

数々の先人の教えを胸に、茂登山は今も街を歩き、その審美眼を磨いている。

1959年(昭和34年) 初渡欧 ミラノのドゥオーモ広場にて

人間だけが
美を理解し、
創り出し、
そして追い求める

サンモトヤマの創業期に縁のあった人達には文人も少なくなかった。その中の一人、天台宗の大僧正にして、作家、参議院議員の今東光こんとうこう氏から聞かされた言葉は、茂登山の心に今も息づいている。

「人間ほど面白い、素敵な動物はいない。人間だけが美がわかり、美を創り出し、美を追いかける。美しいものを扱っていれば、美しいもののわかる人々が集まってくる。人との出会いを大切に、人間にもっと興味を持てよ」。

そんな人間の特性と商いの道理を説かれた茂登山にとって美との出会い、美のわかる人々との出会いはいつも大きなよろこびと、強い感謝の念をもたらしてきた。

今東光氏と茂登山長市郎

出会いはひとつの
シガレットケースから生まれた

サンモトヤマには、60年を経ても語りつがれる、ひとつのめぐりあいがあった。

茂登山は日本にはない文化の粋である美しい“革”製品を売りたいと思い、イタリアでは「グッチ」、フランスでは「エルメス」に的を絞った。

1962年(昭和37年)の自身4度目となる訪欧のとき、憧れのフィレンツェの「グッチ」の店で初めてバスコ・グッチ氏に出会う。案内された店内でショーケースから取り出された銀のシガレットケースをとっさに胸ポケットのチーフを広げて掌で受けたことが相手の心を動かし、それを機に念願の「グッチ」との取引きが始まったのだ。

その後、「グッチ」総師のアルド・グッチ氏との強いパイプが生まれ、長期にわたる独占販売権を獲得することにつながった。

一方の「エルメス」とも何度もの訪問の末、1964年(昭和39年)フランチャイズ契約を結ぶことができた。

1982年(昭和57年) グッチファミリーの面々と契約更新の調印式

銀座が
GINZAとなった
今日を予言していた
人たち

1962年(昭和37年)、茂登山は、銀座のタウン誌「銀座百点」の発行元である百店会の理事に就任した。

当時、理事をしていた明治生まれの銀座の大旦那たちは70~80歳代。1964年(昭和39年)の東京オリンピック開催を機に、30歳代の若手店主4人を次の理事に抜擢し、その内の一人が茂登山だった。

理事長の「白牡丹」の松田信四郎まつだしんしろう氏から、選ばれた理由について話があった。

「銀座はいずれ世界の銀座にならなければならない。外国の商品を扱い、外国のことを分かっているのは君だけだから」と。

それから半世紀、日本の銀座は、世界のGINZAとなった。

1959年(昭和34年) 銀座みゆき通りの支店前にて

気配りの心が
結びつけた
本当のダンディズム

電通4代目社長の吉田秀雄よしだひでお氏も茂登山に大きな影響を与えたひとり。

1963年(昭和38年)、病床にあった吉田氏から「ノックス」のミッドナイトブルーの帽子を注文された茂登山はその体調を考慮していつもより小さいサイズをメーカーに指定した。しかしその帽子が到着したのは、注文主が亡くなった一ヵ月後のことだった。

当時、帽子は紳士の必需品であり、本物を知るダンディーたちが多く愛用していた。

「彼は『人即情』を口にし、情が仕事をつくる事を私に教えてくれた。あのダンディズムは、彼の細やかな気配りから生まれたものだ」。

茂登山と一人の男との心の交流を語るこの帽子は、今もなお茂登山の手元で大切に保管されている。

1963年(昭和38年) 吉田氏がオーダーした「ノックス」のミッドナイトブルーの帽子

ファッションとは、
流行という流れに
逆らわず
その変化を楽しむもの

サンモトヤマの本店をどこに置くか。

茂登山は1964年(昭和39年)、銀座の並木通りを選んだ。一流の商品を売るのは一流の場所でなければならないという茂登山の哲学と、ヨーロッパの一流ブランドが並ぶ通りは、ローマのコンドッティも、パリのフォーブルサントノーレも、ロンドンのボンドストリートも通りの長さや道幅、車道と歩道の区別など、みな同じ条件をそなえていて、東京でこの条件を満たすのは、銀座の並木通りをおいて他にはないという信念からだった。

「ファッションは流行を映し創り出し、常に流れ行く川の流れのようなもの。私たちは流れに沿って変化しながら、その先を見据えていなければならない」。

茂登山は、ブランド店の並ぶ現在の並木通りの姿をその時すでに見ていたのだ。

1964年(昭和39年) 銀座本店オープン時の銀座並木通り

飽きない、
飽きさせない
これが商いの原点

初渡欧した時、茂登山は、西欧にはバカンスを楽しむというライフスタイルがあることを知った。

帰国後、茂登山は西欧のリゾート文化を体現する場所として以前から文化人、外国人が避暑を楽しんでいた軽井沢を候補地に選び、自らもこの地を訪れ、何度か夏を過ごした。そして、1967年(昭和42年)、旧軽井沢に「プティ サンモトヤマ軽井沢」をオープンする。

「商いとはお客様を飽きさせないこと。そして自分も飽きないこと」。

軽井沢は、日頃、多忙な人たちがくつろいで親しく交流する場所。お客様にひと時ひと時を楽しんでいただくことを大切に、商いをしている。

各界の著名人が参加した「軽井沢セレブリティ テニストーナメント」
サンモトヤマは後援を1977年から20年続けた

悠久の伝統文様に
アジアの文化を見る

1983年(昭和58年)、インドのカシミールショールの文様に出合った茂登山は、その文様の起源ともいえるペルシャ絨毯に魅了されすぐにサンモトヤマで取り扱うことを決心する。

1988年(昭和63年)には紀元前4-5世紀頃に織られ、近代になってアルタイ山脈の凍土から発見された世界最古のパジリク絨毯を所蔵するエルミタージュ美術館を訪れる。

そこで時空を超えた永遠のロマンに圧倒された茂登山はアジアを代表する美の象徴、ペルシャ絨毯に導かれ日本を含めたアジアの文化に新たな光を当て、多くの人々にその魅力を気付かせることとなる。

1988年(昭和63年) パジリク絨毯が保管されているエルミタージュ美術館にて

和洋を調和させ
新しい美を銀座から

ヨーロッパの伝統が生んだ数々の名品を銀座から半世紀にわたって発信し続けてきた茂登山。一方で、アジアに受け継がれる手仕事の妙にも目を向けている。アジアの美意識の目覚めと文化に対する誇りを喚起させたいとの思いからであった。

インド、インドネシア、タイ、ミャンマー・・・アジア各国で出合った選りすぐりの商品を集めているうちに、その優れた技と欧州のデザイン性の融合こそが21世紀型ライフスタイルの新しい文化を創る源泉であるとの信念をもった。

「銀座で和洋の美の調和を進化させ世界へ発信していこう」。

21世紀という新しい時代を迎えて抱いた決意だった。

ミャンマーの「蓮」の工房と、インドネシアの「ビンハウス」を訪ねる

創業時より
変わることのない
美へのあくなき探求

カナダ北極圏に位置するバンクスアイランド。2005年(平成17年)、茂登山は、その地でマイナス50度以下を氷河期から現代まで生き抜くジャコウ牛の産毛に自らの手で触れたいとの強い思いで現地に赴く。

イヌイット語で雲を意味する「キヴィアック」といわれる産毛は、極端に細く、軽く、また柔らかで暖かい。

当時すでに80歳を越えていた茂登山ははるかに遠い北の大地で、この稀少な素材の感触に今までにない美しさを見出した。

お客様へ真の喜びをお届けするために、美への探求は創業時より変わることなく、続けてきた。

2005年(平成17年) カナダ北極圏 バンクスアイランドにて

運と縁とに導かれ
人生の道は続く

美を追い求め続けた茂登山は、自身のこれまでを振り返るとき、いつも人生は“運と縁”の積み重ねだと語っていた。

「運は天から授かるもの、縁は自らつくるもの」。

そう口にする茂登山のことばには、多くの人々との出会いと美しい品々とのめぐり合わせへの、尽きせぬ思いと感謝が込められている。

サンモトヤマの歩みは、運と縁に彩られ、さらに一歩一歩続いていく。

茂登山長市郎と会長 茂登山貴一郎

株式会社サンモトヤマ 創業者茂登山長市郎 プロフィール

1921年(大正10年)
東京・日本橋生まれ。
祖父が創業した高級ニット雑貨の卸問屋の三代目。
1941年(昭和16年)
応召、中国・天津の租界で目にした欧米の数々の一流品の持つ“美”に感動し、復員後は東京・有楽町で主にアメリカ製品を扱う商売から身を起こす。
1955年(昭和30年)
株式会社サンモトヤマを設立。
1964年(昭和39年)
東京オリンピックの年の3月9日に、銀座・並木通りに本店を移転。
グッチ、エルメス、ロエベなどヨーロッパの一流ブランドや美術品を揃えたセレクトショップをオープン。今日に至るまで伝統・文化に裏付けられた数々の海外ファッションブランドを日本にいち早く紹介。
1990年(平成2年)
人類共通の文化遺産でありフィレンツェのシンボルともいえるサンジョバンニ洗礼堂の東扉“天国への扉”のレプリカ(実物とまったく同じ複製品)を教会へ寄贈。
自らのブランドビジネスの出発点であるフィレンツェへ恩返しをした。
1991年(平成3年)
代表取締役会長就任。
2004年(平成4年)
イタリアの高級ブランドが名を連ねる組織“アルタガンマ”から“名誉アソシエイト”のタイトルを授与。
2005年(平成17年)
創業50周年を機に、著書「江戸っ子長さんの舶来屋一代記」(集英社)を出版。
2006年(平成18年)
イタリア共和国より功労勲章“ウッフィチャーレ賞”授与。
2010年(平成22年)
フィレンツェの文化財団より“アポロ賞”を、同時にフィレンツェ市が外国人に贈る最高の栄誉“フィレンツェ市の鍵”を日本人で初めて授与される。
2014年(平成26年)
茂登山のドキュメンタリー番組「シリーズ東京 街はこうして輝いた~銀座並木通り~」(NHK BSプレミアム)が放送される。
2016年(平成28年)
代表取締役会長を退任し、取締役会長に就任。
2017年(平成29年)
新・銀座本店完成を見届けた1ヶ月後の12月15日、死去。